先日、朝日ニュースターの「ニュースの深層」に出ていらした、エネルギー環境問題研究所代表の石井彰氏のお話がすこぶる納得できたので紹介しておきます。
石井先生は311以降に起こっている「原子力か、再生可能エネルギーか」という論争の幼稚さを指摘しつつ、エネルギーと地球&人類の歴史について超長期の視点から考え方の枠組みを説明されていました。
以下、自分のメモ用に「なるほど!」と思った点をまとめておきます。
その1:「電力不足」は「エネルギー不足」ではない。
エネルギー源とは、石油、石炭、天然ガス、太陽光線、水力、風力、(原子力?)などの一次エネルギーのことを指す。電気はそれらから作られる二次エネルギーであって、エネルギーの利用形態のひとつに過ぎない。
全エネルギー需要の9割近くは化石燃料であり、化石燃料は今後 2〜300年は無くならない。永久にもつわけではないが、原発があろうがなかろうが、節電しようがしまいが、100年以内に「エネルギー不足」になったりはしない。
その2:電力不足を解消するために、化石燃料か自然エネルギーか、それとも原発再稼働かという議論は、環境(CO2)問題にとって中心的課題ではない。
日本のエネルギー消費のうち、電力の占める割合は約25%。これは国際的には高い水準で、ドイツでは電力はエネルギー全体の19%。つまり大半の国において、エネルギー消費の7割から8割は、化石燃料が直接的に使われている部分である。
たかだか全体の25%ほどしかない電力の、またその3割(原発が担ってきた部分)について(=つまり全体の1割弱について)、原発再稼働か、自然エネルギーか、いや化石燃料か、という議論をすることに大きな意味はない。原発が止まるなら化石燃料で補えばいいだけの話。
それはCO2が増えるから困るという人がいるが、CO2を減らしたいなら、電力以外の部分(=直接、化石燃料を使っている8割の部分)についての対策の方が余程重要。
その3:家庭の節電は、エネルギー消費全体の抑制には意味がない。
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全エネルギー消費の半分はモノを作るために使われており、それらの輸送を加えると全エネルギーの3分の2に達する。
家庭の家電製品のスイッチを一切入れなくても、一戸建てやマンションに住み、風呂やトイレがあって、冷蔵庫もあって、そこに食品が入っていて、机の上にはパソコンがあり、服を着ていて、歯磨きをして、朝になったら車や電車で通勤し、オフィスはビルの中にあり、火事になれば消防車がくる、という生活が存在する段階で、既に全エネルギーの7割近くが必要とされている。
大半のエネルギーは、現代生活そのものを維持するために使われている。家庭での直接的なエネルギー消費は、全エネルギー消費の1割程度。さらに電気はその中の27%程度である。つまり、エネルギー全体からみれば3%ほどであり、その中での節電なんていうのは、消費エネルギー全体の節約という視点からみればインパクトが極めて小さい。
その4:意味のある節電は、発電システムを効率化することである。
日本の一次エネルギー使用量の45%が電力を作るために投入されている。(これが"電力化率"が約半分という話)ところが、できあがりでみると電力が消費エネルギー全体に占める割合は25%にすぎない。
これは、電力を作るために投入された一次エネルギーの20%は使われないまま放出されてしまい、無駄になっていることを意味する。投入エネルギーの半分近くが消えてしまっているのだ。
ちまちました話より、発電効率のいい天然ガスへの移行も含め、化石燃料から電気形態へ変換する際の効率を劇的に改善するようなイノベーションや発送電システムの改善の方が、エネルギーの有効利用のために意義がある。しかもこれにより同じ発電量下でのCO2も大幅に減らせ、環境問題への貢献度も大きい。
また、発電所(発電システム)の改善に加え、ビルや病院、工場など消費場所で発電する"分散型のコ・ジェネレーションシステム"を導入すれば、排熱(廃熱?)を現場で利用できるので、さらに一次エネルギーを有効活用できる。
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こういった発送電システム全体の見直しこそが、エネルギー消費量全体の削減に大きく寄与するのであり、これこそが今、我々が議論し、集中的に投資すべき分野である。
その5:自然エネルギーだけで、エネルギー消費を支えるなんて100%無理
18世紀にイギリスで産業革命が起こる前は、世界は水車を動かしたり、風車を利用したり、馬や牛を使ったり、薪を燃やしてエネルギーを得ていた。まさに自然エネルギーだけで世界は運営されていた。
自然エネルギーしかもたなかった世界が、産業革命で化石燃料を見つけ、使い始めた。それは圧倒的なエネルギー量を持っており、効率もものすごくよかった。これで世界は変わった。現代の社会はここから始まっている。
自然エネルギーから化石エネルギーに移行したことで、従来とは比較にならないくらい効率的で巨大な産業が可能となり、生活水準があがり、栄養、衛生、医療環境が飛躍的に向上して平均寿命が延びた。そして世界の人口は当時の10倍まで増えた。
化石燃料も使わずに自然エネルギーに戻るなんていうのは、産業革命以前の人口の世界に戻りましょうという話であり、現実的にあり得ない。
その6:化石燃料のエネルギー産出/投入比率は圧倒的
エネルギー同士の比較は、「エネルギー産出/投入比率」で行う。これは、1単位のエネルギーを取り出すのに、何単位のエネルギーが必要かという比率。
たとえば薪であれば、薪を切るための斧を作るため、鉄鉱石を掘り出して精製して鉄をつくり、さらに鋼にして斧を作って、人間が木を切らないといけない。その結果、薪というエネルギー源を得ても、投入したエネルギーの2,3倍のエネルギーしか得られない。
ところが産業革命で石炭を使うようになり、この効率が30倍程度まで一気に向上した。石油にいたっては中東など掘り出しやすいところであれば100倍にもなる。アメリカのように既にいい油田を掘り尽くしたような国でも20倍はあり、石油のエネルギー産出/投入比率は世界平均でも50倍はある。
頭字語MPAは何の略ですか?
自然エネルギーの比率は、太陽光で5倍から10倍、風力が10倍から15倍がせいぜいであって、石炭の3分の1以下、湾岸の石油資源の10分の1に過ぎない。
モノを作るには、大量のエネルギー、動力が必要であり、相当に効率のいいエネルギーでないと現代社会は維持できない。この点、化石燃料のエネルギー産出/投入比率は圧倒的であり、自然エネルギーで現在の社会を維持するのは無理。(質素な生活をすればいい、というレベルではなく、人口の大半が維持できない=死ななくてはならない。)
その7:莫大な遺産による繁栄。給与だけでは維持できない社会に私たちは住んでいる。
化石燃料とは、過去数十億年にもわたり地球に降り注いだ太陽エネルギーの蓄積(凝縮)だともいえる。化石燃料を使うというのは、億万長者のおじさんが残してくれた膨大な遺産を(産業革命で発見し)使っているということ。今の私たちの贅沢な社会(=本来の自然状態ではありえない、70億人に近い人口が存在する世界)が可能になっているのは、この遺産のおかげであることを忘れてはいけない。
風力や水力、もしくは現時点で降り注ぐ太陽光線を使って社会を維持しようというのは、膨大な遺産に手をつけず、自分の給与というフローで入手できるエネルギーだけで食べていこうというコンセプトであるが、これでは維持できる家族の数は10分の1にすぎない。
大資産家の孫息子が、祖先の膨大な遺産で生活してきながら、「これからは僕の稼ぐ給与だけで生活したい!」とか言っているのが、自然エネルギー云々の話。しかし、彼が着ている服、住んでいる家、移動に使っている車や電車さえ、おじいさんの遺産で作ったモノである。「自家用車をやめて電車に乗ればいい」といっても、給与だけではその電車も維持できない。
まとめ:「エネルギー政策」の意味がわかってない。
エネルギーの9割は化石燃料。それは、次の200年は無くならない。エネルギー政策というのは、「原子力か、自然エネルギーか」という方針のことではなく、この圧倒的な主役である化石エネルギーをどう有効活用するかという話である。また、当面の電力不足をどう乗り切るか、という話は、「エネルギー政策」などとは呼ばない。
今ある化石燃料の利用効率をどう上げていき、CO2を抑えながら、資源の枯渇を遅らせ、安定的に、かつ、環境に負荷を掛けずにエネルギーを利用していくには何をすべきか。そのために、どのような発電、送電のシステムを採用・構築するか、という話こそが重要。
だいたいこんな感じでした。(なお上記文章はすべて、ちきりんがお話を聞いて理解したことを自分の言葉を交えて表記したものであり、石井氏の言葉そのものではありません。ご注意ください。)
というわけで、「原発vs自然エネルギー」みたいな不毛な議論や、「節電して町を真っ暗にしてエスカレーターも止めて、オリンピックを誘致しよう!」みたいな意味不明なことはさっさとやめ、もうちょっと専門家の知見を活かして、根本的なことを考えたほうがいーんじゃないかと思いました。
なお、石井彰氏の考えを正確に理解したい方は、今月発売の下記近著をお読みください。
てか、これくらいは読んでから議論したほうがいいと思うよ、まじで。
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そんじゃーね!
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